新発見の道のりはおっかなびっくり楽しい

火曜日のブログで「長距離散歩」のお話をさせて頂きました片野です。
今日はちょっと眺め・・いえいえ散歩と一緒で長めのブログになります。

我が家の普段のお散歩は「自然を感じながら、往復1時間もあれば戻ってこられるコースを無理なく歩く」という緩やかなものです。

用心のため、少量のお茶・携帯・財布・飴玉の入ったミニトートバック持って行くのが常ですが、先日はたまたま手ぶらでもいいかなと飴玉2個と100円玉3個ポケットに入れて出発。
折り返し地点付近にコンビニがあるから飲み物が欲しければ買えばいいっかーと思っての300円チョイスです。

早朝ならまだ誰も歩いていない道だし、コロナウィルスもいないかな〜なんて話しながら歩きはじめたのでした。

いつもの散歩コースの途中、普段なら右へ行く道を鳥の鳴き声に惹かれて左へー。
(左へ行っても竹藪があってその先が行き止まりなのは前に歩いて調査済)

あっ、因みに我々が歩こうとしている場所はこんなところ。

左へ歩みを進めた途端、家人が見つけたのです。
「多井畑厄神まで1.8キロ」と書かれた身の丈30センチほどの小さな道しるべ!!
えっ!なんで?!
この前通ったけどこの先行き止まりだったはずですけどぉ・・・。
でも1.8キロなら楽勝で歩けるよね!と、この小さな案内板を信じることにしました。

実は以前、右へ行く普段の散歩コースの折り返し地点を戻らずに多井畑厄神さんを目指したことがありました。
車道を横目に住宅街の急な坂道を上がったり下りたり、かなりハードで厄神さんに着いた頃にはヨレヨレでした・笑

なので、もし近道ならうれしい!と思ってのチャレンジでした。
前に行き止まりと思った場所でよくよく目を凝らすと左にあがる鉄板を渡したような小さな橋らしきものを発見!

上がって行くと左に小さな魚の泳ぐ水流が(川なのかな?)ずぅーっと続いていて、毎日誰かが手入れしていると思わしき野菜畑もある。
でも周りに住居はなく超静かな山道をトコトコ歩きながら、新鮮な空気を思いきり取り込ませていただきました。

機嫌よく歩いてはいたものの、なかなか山道から抜け出せず、もちろん100円玉が使えるドリンクの自販機なんかあるはずもございません。
我々が本当に1.8キロなのかと疑惑を呟きはじめる頃、ようやく目の前に普通の住宅の屋根が見えてホッとしたらそこにはなんと「松風・村雨の墓」の案内板がありました。


よかったぁ〜ここならわかるよっ!!
いつも車で通過しながら手前にあるここの案内標識を見るばかりだったので初めてお参りさせていただきました。
これは伝説に残る多井畑の村長さんの娘たちで姉の名が松風、妹は村雨。
天皇の勘気を蒙り須磨に流されていた在原行平に名づけられ、愛されたふたりの小さな古いお墓がありました。
お墓はさすがに撮りませんでしたが、伝説となった詳細はこの石碑をご覧あれ。

同じ敷地内に源平一の谷の合戦で敗れてこの地で自害した落ち武者13名の墓もあり、しみじみとここにも大河の歴史ありと感じさせられました。
そこからほんの少し歩いて「源義経の腰掛けの松」が祭られた場所にでました。

源平合戦の折り義経一行は、厄神さんで戦勝祈願をした後、この松に腰をかけ休息を取り一の谷へ出陣したとされます。
背後にある祠は「ほんがんさん」です。
平家討伐の功績で検非違使に任じられ「九郎判官」と称された義経を村人が「ほんがんさん」の愛称で親しみと尊敬をこめて呼び、おまつりしたものです。
此処にも夥しい数の供養塔があり、合掌!!!

もうここからは50メートルほどで厄神さんの入口に到着ぅー!
「やったー!バンザイッ!着いたっ!」と誰もいないのをいいことに叫びました・笑

というわけで、意外にも急な上り下りもなかったし遭難もせず、桜こみの自然と戯れ、尚かつ歴史街道も垣間見て、めでたしめでたしの散歩でしたね。

えっ、しかしっ!あなた、ここからまた帰るんですよぉ——–とほほ。

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